特別インタビュー記事
夜空を見上げて、最後に息をのんだのはいつだろう。
石垣島の最北端、平久保半島。サトウキビ畑と牧草地の向こうに海が広がり、信号機はおろか、街灯すらほとんどない。ここには、日本のどこにもない星空がある。
その星空を10年にわたって守り、6万人以上の人々をその光の下へ案内してきた男がいる。新垣信成(あらかき のぶなり)。平久保半島星空ツアー「流れ星の丘」の代表であり、この土地の未来を本気で考え続けている人だ。
開拓移民の孫として──石垣島・平久保半島に根差す3世代の物語

新垣さんのルーツは、戦後の開拓移民にさかのぼる。
おじいちゃんが、平久保半島にある『久宇良(くうら)』という集落に入植したんです。70年前ですね
農業と大工仕事で生計を立てた祖父。その土地で父が生まれ、新垣さんが生まれた。小さな集落には当時50〜60人が暮らしていた。今はわずか5〜6世帯。病院が遠く、暮らしの不便さから、ひとり、またひとりと集落を離れていった。
しかし新垣さんには、この土地に対する特別な感情がある。

小さい頃からずっと柔道をやっていて、県外の試合にもよく行ったんですけど、いつも地域の人たちがみんなで応援してくれて。『大きくなったら地元のためになんかやらんと』って、ずっと言われてました
その言葉は、少年の胸に深く刻まれた。
東京から石垣島へ──「日本一の星空」を超える場所との出会い
地元への恩返しを胸に抱きながらも、新垣さんは東京で15年を過ごした。柔道の実業団選手として汗を流し、引退後は先輩と会社を立ち上げ、警備業と飲食店を経営。沖縄の食材を東京に届けることで故郷に貢献しようとした。
だが、現実は甘くなかった。
沖縄から食材を仕入れると送料で高くなる。気づいたら関東でも沖縄の食材が手に入るようになっていて、わざわざ沖縄から取り寄せるものがなくなってた。自分がやってることが、全然故郷に還元されてないなって
悩みの中、一本の記事が目に留まる。長野県・阿智村。「日本一の星空」を掲げ、年間2万人もの観光客を集めているという。
居ても立ってもいられず、新垣さんは阿智村へ向かった。
なぜ平久保半島の星空は「日本一」を超えるのか
阿智村の星空を見上げた新垣さんは、驚いた。しかしそれは感動の驚きではなかった。
「全然、平久保半島の方が綺麗で。圧倒的な違いがあって。『え、これで?』って思ったんです」
本州の「星空スポット」と平久保半島の決定的な違い。それは「雲の色」で分かるという。
夜に見える雲って、白く見えるイメージありません? それ、地上の光を雲が反射して白く見えてるんです。つまり白い雲が見えるってことは、光害の影響を受けてる証拠。でも平久保では、頭上の雲が見えないんですよ。真っ暗で
周囲に光源がないから、雲さえも闇に溶ける。だからこそ天の川の淡い星々まで肉眼で見え、夜空いっぱいに巨大な光のアーチが架かる。
数値が証明する「世界最高水準」の暗さ

この体感的な暗さは、科学的にも裏付けられている。
夜空の暗さを測定する国際基準「SQM(Sky Quality Meter)」で、平久保半島の久宇良地区は21.62〜21.99 mag/arcsec²を記録している。人工光がゼロの場合の理論上の最大値は22.0。つまり地球上で到達しうる暗さの限界にほぼ等しいということだ。
参考までに、東京や大阪の都市部は17.0〜18.0。国際ダークスカイ協会(IDA)のゴールドステータス認定基準が21.75以上であることを考えると、平久保半島の暗さが「世界最高水準」と呼ばれる理由がわかる。
石垣島・西表島エリアは、IDA(国際ダークスカイ協会)によって「星空保護区(ダークスカイ・リザーブ)」にも認定されている。
リゾートホテルなんか建てなくても、豪華なものを作らなくても、自然のままであれだけ人を魅了できる。これって平久保にぴったりだと思ったんです
33歳。新垣さんは東京の事業を整理売却して、石垣島へ帰った。
はしごを外されてもゼロから
帰郷後、星空ツアーを立ち上げた新垣さんだが、道のりは険しかった。
当初は東京から来た星空ツアー会社と協業していたが、方向性の違いが表面化する。地元の人に高い時給を払い、集落に雇用を生みたい新垣さん。一方で効率と利益を優先する相手。星空保護区の申請窓口だったこともあり「今後星空の事業をやって行くんだったら、うちと組まないとやっていけないよ」──その一言が決定打だった。
独立後、地元のツアー販売業者への圧力によって販売ルートを断たれ、嫌がらせのメールも届いた。お客さんがほぼゼロになった時期もあった。
でも、来てもらった人に圧倒的な違いを知ってもらわないと、始まらない
新垣さんはインターネットに活路を見出した。ホームページに平久保半島の星空の魅力を徹底的に発信し続けた。「石垣島 星空」と検索すれば、新垣さんのページが表示される。次第に、旅行代理店に頼らずとも自社サイトへ直接予約が入るようになった。
石垣島の天の川が見える時期──国内最長の観測シーズン

石垣島で天の川が見られる時期は、6月後半から11月前半。約5ヶ月間にわたって、頭上に巨大な光の帯が架かる。
これは国内では最も長い観測シーズンだ。その理由は、石垣島の緯度にある。北緯24度──日本の中で最も赤道に近い場所に位置するため、天の川の最も明るい中心部分(銀河中心方向・いて座付近)が高い位置に昇る。本州では地平線ぎりぎりにしか見えない銀河の核心部が、石垣島では頭上近くまで昇ってくるのだ。
さらに、南十字星やカノープスなど、本州では見ることのできない南天の星座も観測できる。
つまり石垣島・平久保半島は、日本一きれいに、日本一長い期間、天の川が見える場所と言っていい。
10年で6万人──星空ツアーで生まれる人生の物語

10年で6万人。その一人ひとりに、星空の下での物語がある。
亡くなったお母さんの写真を持って参加する人。
酸素ボンベを担いでまで、お父さんに天の川を見せたいと訪れる家族。
満天の星の下でプロポーズをするカップル。
「星はよみばよまりしゃが──」
ツアーの中で、新垣さんはこんな話をする。
八重山の民謡「てぃんさぐぬ花」に、こんな一節がある。
「天の群星や 読みば読まりしゃが 親の寄事(ゆしぐとぅ)や 読みやならん」
──天の星は、数えようと思えば数えられる。でも親の教えは、数えきれない。
じゃあ皆さん、実際に数えてみてください
新垣さんがそう言うと、毎回お客さんは大爆笑する。なぜなら目の前に広がる星空は、本当に数えきれないからだ。
一度、小学生の女の子が本気で挑戦したことがある。1時間かけても、数え終わらなかった。
平久保半島の星空は、ただ「綺麗」なだけではない。八重山の文化と結びつき、人生の節目に立つ人の背中をそっと押してくれる、そんな場所なのだ。
100年後もこの天の川を見るために──光害から星空を守る取り組み

地球に電気が灯って、まだたった150年。その短い間に、日本国内の約7割の場所で天の川が見えなくなった。
新垣さんが代表を務める「平久保半島自治協議会」が目指すのは、この星空を100年先へ繋ぐことだ。
100年後もこの場所で同じ天の川が見れるなら、それは僕らが今、勇気を持って『これ以上明るくしない』という選択をした証拠になる
「これ以上明るくしない」という選択。それは便利さや発展と引き換えに、何かを守り抜くという覚悟だ。
新垣さんは、その覚悟を一人で背負おうとしているわけではない。平久保の星空を体験した人が「この場所を守りたい」と感じてくれること。その声が外から届くことで、初めてこの環境は守られていくと信じている。
流れ星の丘 星空ツアー──あなたの目で、確かめてほしい

写真では伝わらない。長時間露光で撮影された美しい星空写真は、本物のほんの一部でしかない。
頭上から水平線まで、360度を覆い尽くす天の川。
雲さえ見えないほどの、完全な闇。
その闇の中で初めて姿を現す、無数の小さな星たち。
それは、平久保半島に立った人だけが知ることのできる景色だ。
ツアー概要
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 場所 | 沖縄県石垣市平久保(平久保半島・久宇良地区) |
| 石垣市街地からの距離 | 車で約40〜50分 |
| 無料送迎 | 石垣港離島ターミナルから往復無料シャトルあり |
| ツアー時間 | 星空観測 約1時間(送迎含め約3時間10分) |
| 料金(大人) | 4,600円(送迎付き) |
| 料金(小人6〜11歳) | 2,500円 |
| 料金(幼児0〜5歳) | 無料 |
| 含まれるもの | 星空ガイド、三線の生演奏、双眼鏡、リクライニングチェア、保険、無料送迎 |
| 天の川シーズン | 6月後半〜11月前半(国内最長) |
片道タクシーで1万円以上かかる平久保半島まで無料送迎付き。三線の生演奏を聴きながら、一般のお客さんしか入れないプライベートエリアで星空を独占できる。この内容で4,600円というのは、新垣さんの「一人でも多くの人にこの星空を見てほしい」という思いの表れだ。
人生に一度でいい。この場所で、空を見上げてみてほしい。
きっと、星空が何かを語りかけてくる。
取材:荒木氏(繋ぎ手プロジェクト)
写真提供:流れ星の丘


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